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夏の終わりの風が頬を撫でる。
ほこほことした筑前煮のかおり、適度に手入れされた庭からは鈴虫の鳴き声、まばらに散らばる雲の隙間からは中秋の名月。
霖之助は、いつも通りみあかしの広い家の縁側に座って、ぼんやりと空を眺めていた。
この季節はなぜかこころが浮足立つというか、落ち着かない。
きっと、眼前に広がる一面の曼珠沙華が彼岸を思い起こさせるからだ。

「いい季節になったねえ」

いつの間に近くに来たのか、この土地の持ち主である九尾の化け狐、みあかしが背後に立っていた。
霖之助は驚きもせず、そうだな、とだけ返す。彼が神出鬼没なのは、今に始まったことではない。

「隣に座っても?」

「いいよ」

「ありがとう、失礼するよ」

はあよっこいしょ、と間抜けな声とともにみあかしが縁側に腰掛ける。
ふわりと、いつものお香のかおりと、先ほどから漂う夕飯のかおりがした。台所から直接ここまできたのだろうか。
みあかしは、大きな耳とふさふさした九つのしっぽを風に揺らして、心地よさそうだ。

「さわる?」

じっとしっぽを見ていたら、それをふりふりとこちらに寄せてみあかしが言った。
そういえば、何かの拍子に少し触れることはあっても、改めてしっかり触ってみることはなかったかもしれない。

「……痛いとか、ねえの?」

「ひっぱったりしなければ、腕とか足とかと、同じだよ」

くすくす笑う彼の目元には朱色が差し始め、その目つきもきつねめいたものに変わってくる。
上機嫌で、もとのばけぎつね、に体が近づいているのだ。証拠に、普段整えられている爪も鋭い。
ふうん、と霖之助は少しおそるおそる、その豊かなしっぽに触れる。

「ふわっふわ」

「でしょう、ぼくの自慢のしっぽ」

本格的に、みあかしは上機嫌のようだ。
ざわざわと風が荒れはじめ、月が異様に大きく、らんらんと光る。
光沢をもち、凍てつくようなあたたかさで霖之助を包む柔らかなしっぽ。
彼が機嫌をよくすればよくするほど、夜は深くなり、どこか血の冷めるような空気が世界を包む。
ぼんやりと思う。彼は昔たくさんの罪を犯したとつぶやいたことがある。
それをどう償えばいいのかわからない、とも。
今も彼はその罪を背負って生きている。生かされている。
霖之助は、大きな大きなしっぽに抱き着いてつぶやいた。

「こんなん九つもあって、重くねえの」

燃えるように熱い。刺すように冷たい。
肌に触れるそれはみあかしの一番奥深くに届くようで、末端であるこんなしっぽの、毛の一本の先にすらどろどろと濁った重たい鉛がつまっているようで、悲しくなった。
ぐず、と少し鼻をすすれば、残った八つのしっぽが優しく霖之助を包み込む。

「へんなこと聞くねえ、じゃありんくん、そんなにたくさんいろいろ感じるこころがあって、重たくないの?」

薄く涙の幕の張った霖之助の目を、焼けた鉄のような熱い舌がぺろりと舐め上げた。
驚くこともなかった。ぼんやりと、頭がかすみがかって、それがまるで当然のことのように心も体も受け入れてしまう。

「そんなに、そんなにたくさん、ぼくなんかのことで泣いてしまうくらいに、きれいなこころで」

言葉は甘い。とろとろと耳の奥に流し込まれる、掠れた声。
まるで毒のようだ。すべてをしびれさせ、堕落させ、考えることをやめさせる。
人をだめにする、そして幸せだけを与える、とびきりに甘い毒。

(重たくて、つらくて、死にたくなってはしまわないの?)

(なにもかも投げ出して、逃げてしまいたくは、ならないの?)

ねえ、とささやかれる。

「ねえ、もし、そうならないくらいきみのこころが強かったなら、お願い」

「みあかし」

「お願い、ぼくを」

曼珠沙華が揺れる。彼岸が手招きをする。甘い毒がすべてを遮断してゆく。何も見えない、聞こえない、感じられない。





あいしてと、言われたのか。
ころしてと、言われたのか。

どちらだったのかはわからない。
気付けば、みあかしの姿は隣にはなく、居間からいつも通りの騒がしげな声が聞こえてくる。
霖之助は一人縁側に横たわり、風に吹かれていた。

「おおい、りんくん、ごはんだよお」

襖が開かれ、銀色の耳がひょこりと覗く。

「おやおや、こらこら、そんなところで寝ないの、風邪ひくよ」

「……夢?」

目の前にいるみあかしは、いつも通りのすっとぼけた間抜け面で、なにが? と眉を八の字にして小首をかしげている。
到底あの、甘ったるく毒々しいばけぎつねとは思えない。

「ねえ、ごはん冷めてしまうよ。秋口の風は体を冷やすし、みんなも待ってる。早く食べよう?」

どうしてしまったの、と困ったように言うみあかしのしっぽを、思わず凝視してしまう。
ふわふわと揺れる銀色の九つの束。月の光に妖しく煌めいて、不思議なお香のかおりを閉じ込めた、暖かく冷たいみあかしの自慢のしっぽ。

「さわる?」

びくり、と肩が跳ねる。
それはあの夢の中の言葉と同じで、思わず目を見開いて彼を見た。

「そんなに驚かなくても。じっと見てたから、触りたいのかなって思ったんだけど」

「いや、別に……飯食う」

「そう、そうだね。今夜はねえ、筑前煮とねえ、きんぴらと、聞いて聞いて、新鮮なさんまが安くてねえ……」

嬉しそうに霖之助の背中を押しながら、献立を一つ一つ数え上げるみあかしに、思わず笑ってしまう。
そうだ、このとぼけたきつねが、あんなに甘ったるい毒を吐けるわけがないのだ。
安心し、しかしどこかに何かが引っかかったような心持のまま、霖之助はいつもの食卓に混ざった。
もし本当に彼が、あいしてと、ころしてと、そう言っていたのならば、とふと考えたものの、目の前に広がるいつも通りの光景に、すぐにそんな非日常な想像は消え去ってしまった。




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