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きらりと冬の風に舞う銀糸のような美しいロングウェーブ。
鮮やかな橙のグラデーションのかかる温かみのあるストレートヘア。
ふんわりとまるでとろけるような茶色いマッシュルームカット。
三つの高さの違う頭が、あっちを見たりこっちを見たり、楽しげに揺れながら街を横断してゆく。
ある者は銀に、ある者は橙に、ある者は茶色に目を取られ、顔を赤くしたりぼんやりと見つめ続けたりと反応はさまざまだ。

銀糸はモリガン、橙は椿、茶色はブラウニーという、見た目は人間のうら若い女性だが実のところ人ではない存在たちである。
人に擬態した姿で街を散策するのが最近の彼女たちの楽しみなのだ。
普段はモリガンと椿二人で出かけることが多いのだが、今日は珍しくブラウニーが散策についてきた。
なんでも、彼女の愛用している掃除用品のストックが切れたとかで、それを買い足したいのだそうだ。掃除好きな彼女らしい理由である。

「モリガン姉様、あれはなんですの?」

くいくい、と興味深げに小さな店を覗き込みながらブラウニーがモリガンに問う。
うまく擬態のできない彼女は、正体を隠すためにふわふわの耳当てをしていて、その下で好奇心の赴くままに可愛らしい子犬のような耳が動くさまがありありと想像できた。

「あれはクレープ。甘くておいしいのよ。食べてみる?」

「甘いんですの? 食べてみたいですわ!」

「椿、あんたは?」

「私もいただきます」

モリガンよりずっと前から日本にいたとは言え、街に出ることのほとんどなかった椿ももちろんこういったことにはあまり慣れていない。
適応力の高いモリガンに引っ張られるように遊びに歩くようになって、毎日が新鮮で楽しいことばかりだ。
三人は小さなクレープ屋にはいると、それぞれが思い思いのものを注文していく。
そこでふと、モリガンがいつもと違う違和感に気付いた。
誰よりも早くこの時代のこの国に順応し、遊びまわってきた彼女だから気付いた違和感である。

「……なんだか、チョコが多くない?」

普段この店によく来るモリガンは、チョコレート系のトッピングが多いことに違和感を感じた。
そういえば心なしか、店内の飾りつけもいつもよりピンク色やハートが多く使われているし、いくら女性に人気のクレープ屋だからと言って少しやりすぎなのではないかと言うくらいだ。
はじめて来るブラウニーはともかく、何度かモリガンと一緒に来たことのあった椿も、言われてみれば、とあたりを見回す。
改めて店内から外を見れば、どうして今まで気付かなかったのかと言うほど街はピンクや赤で彩られていた。

「あら、街中というのはいつもこういう風に甘い香りがするものなのではないんですの?」

わたくしてっきりいつもこうだと、とブラウニーが受け取ったクレープをはむはむと食べながら言う。

「まあ、おいしい!」

「よかったわね。いつもこうじゃないわよ、なんか変ねえ……」

「私も、あまり街に出たこともないですし、今の文化はわかりません……」

すると、クレープを食べつつ街を見遣る三人の会話が気になったのか、店主が声をかけてきた。
今どきの格好をしているのに何も知らない彼女たちを不思議に思ったのかもしれない。

「御嬢さん方、街中がこんな風になってるのは、もうすぐバレンタインだからですよ」

バレンタイン。
一般にはローマ帝国のユノの祭日であり、後にウァレンティヌスが処刑され恋人たちの祭日となった日だ。
ピンクや赤のハートで飾られた街は、まあ恋人たちの、という理由ならばなんとなくはわかる。
が、チョコレートがやたらと目立つのはなぜなのだろう。

「お三方とも、本当に知らないの? バレンタインって言ったら、女の子から男の子にチョコあげて告白したり、女の子同士で交換したり……」

「こっ、」

「告白!?」

「チョコレートアイスも入ってますのね、うふふ、ほんとにおいしい」

そこからの三人(もといモリガンと椿)の行動は早かった。
うれしそうにクレープをほおばるブラウニーをひっつかみ店を出て、モリガンが携帯でバレンタインについて検索し、椿がみあかし宅近くのスーパーで材料を大量に買い込んだ。
ブラウニーは終始クレープのどのあたりがどうおいしかったかについて語っていた。




「ま、まあ、折角こういう行事が根付いているのですから、たまにはそんな戯れに付き合って差し上げてもいいですわ」

「あたしはクーにあげるわよ」

「なっ……!」

「甘いホイップの下にほろ苦いガトーショコラが隠れていて……」

がさがさとスーパーのビニールいっぱいに詰まった業務用チョコレートや生クリーム、トッピングなどを揺らしながらみあかし宅のキッチンに立つ三人。
家主は現在「新作ゲームの予約に行く」と居候の秀真を連れて外出中だ。勝手知ったるなんとやらである。
もしもここでみあかしがいてくれたら、この後の惨劇は防げたかもしれない。
が、かもしれないはあくまで可能性の話であって、運命には抗えないものだ。

「わ、私は……あっ、そう、そうです! 男性の方々全員に差し上げます! 普段お世話になっているお礼です!」

「あらそう? じゃ、あたしも一応作ろうかしら。ま、本命はクーだけどね」

「ぐぬぬ……!」

普段仲のいい友人であるモリガンと椿だが、こと恋愛ごとに関してはライバル関係となってしまう。
お互いクー・フーリンという、これまた人ではない男性に想いを寄せているからだ。
椿はいわゆるツンデレ、モリガンはストレートなタイプなため、このような図が出来上がる。

「ところで、モリガン姉様、椿さん、チョコレートの作り方はご存じですの?」

ぴしり、と空気が固まった。
モリガンは別段料理が苦手というわけではない、が、得意かどうかといわれるとまた別だ。
できなくはない。が、特別おいしく作れるわけでもない。言ってしまえば平々凡々である。
そしてより一層の問題児が椿であった。
椿は正直言って料理音痴だ。何度作ってもカレーがぶよぶよになるレベルで料理が下手だ。
しかしお互いにそんなことは知らないし、まあブラウニーがいるから彼女に教われば大丈夫だろうと高を括っていた。

「……ブラウニー様、教えてくださいませ」

「ごめんブラウニー、教えて」

「うふふ、もちろんですわ」

かくして、ここから地獄のバレンタインデーが幕を開けたのである。





かいつまんで会話を取り上げてみよう。

「ああっ椿さんだめです湯煎はチョコをお湯にいれることではありませんわ!」

「なにこれ苦! 椿あんたなに入れたらこうなんのよ!?」

「…………」

「焦げてます! 焦げてますわ! チョコレートにあるまじきにおいがしてます!!」

「椿ちょっとあんたなんでそんなチョコまみれなの!?」

「…………」

「チョコが! チョコが破裂しましたわ!」

「危ない! これ危ないわこれ! ブラウニーもう私いいから椿見ててあげて!」

「…………」





上記のような騒動を経て出来上がったのが、各々のチョコレートである。
モリガンは生チョコ。それなりの出来だ。味見をしたが問題はなかった。
ブラウニーはウィスキーボンボン。文句なしの出来上がり、売りに出しても遜色ないレベル。
椿のチョコレート。茶色くて硬い歪な塊。味は、固すぎて味見ができずわからなかった。

「椿……」

「椿さん……」

「…………」

終始うつむいたまま顔を上げない椿に、さすがのモリガンとブラウニーもいたたまれない気持ちになってきた。

「だ、大丈夫よ! 男どもってほら、あ、顎とか歯とか屈強だし? むしろこれくらい食べごたえあるほうがいいわよきっと!」

「そ、そうですわ椿さん! 男性はボリュームのある食べ物がお好きと聞きますし、これくらいがちょうどいいですわ!」

「…………」

こうして小一時間必死のフォローを続け、ようやく手作りチョコ(のようなもの)を渡す決心がついた椿だったが、本当につらいのはこれを受け取る側であるということを彼女たちはわかっていない。





直接渡すのは恥ずかしい、という理由で、みあかし宅のリビングに「かわいい女の子たちより!」と丸文字でモリガンが書いたメモとチョコレートを置いてこっそりと様子を見ることにした。
そこに置いておけば、大体の面子は目にするからである。皆暇をしている。

まず最初に現れたのはみあかしと秀真だった。

「あれ、なんかいいにおい」

「チョコレートだな」

食べ物に敏感な秀真がテーブルに置かれたチョコとメモを見遣る。

「みあかし、これはなんだ? どういう意味だ?」

「ああ、バレンタインかなあ。女の子たちが作ってくれたん……」

だね、と続けようとしてみあかしが固まった。
女の子たちが、作った。
モリガンとブラウニーの料理の腕前は知らないが、椿のそれならばみあかしはよくよく知っている。

「……見なかったことに、」

「人数分ある、好意は無駄にできない」

「……だよね」

生チョコ、ウィスキーボンボン、そして謎の塊を一つずつつまんでそそくさと部屋に引っ込む二人。
食い意地の塊のような秀真でさえ、謎の塊の危険性を察知したらしく、その顔は浮かない表情を浮かべていた。






次に姿を見せたのはクー・フーリン、フェルディア、スカアハの三人だった。
どうやら稽古をしていてもらっていたらしく、汗を流した後食事を一緒にとみあかし宅へやってきたようだ。

「おや、こんなところに可愛らしいものがあるね」

スカアハがテーブルに近づき、ウィスキーボンボンを手に取ってにっこりと微笑む。

「クー、フェルディア、きみたちもご好意に甘えなさい」

ひょいひょいと何事もなく続けざまに生チョコと塊を手にしそう言い残すと、みあかしと話をしてくるよとリビングを出て行ってしまった。

「……フェル、これはチョコレートか?」

「あ、ああ……恐らく……」

生チョコ、ウィスキーボンボンはたやすく受け入れることができた。
が、歪な茶色い塊がいったい何なのか、周りに置いてあるチョコレートからしか判断することができない。

「……食べられる、のか?」

「……恐らく」

それを聞くと、クー・フーリンは恐る恐るといった風にラッピングを剥がし、茶色い塊に少しだけ歯を立てた。

「……硬い」

続いてフェルディアも塊に挑戦する。

「……硬い、な」

「ああ……」

しばらく沈黙が続いた。
いったいこれはなんなのか。
まあ恐らくチョコレートの類であることは間違いない……多分間違いないだろう。
だがチョコレートはここまで硬くなるものなのか?
そもそもずっと手で握っているのに一向に溶ける気配がない。べたつきすら感じない。
これはピンチである、とお互いに察した。

「……みあかしさんに相談しよう」

「そうだな」

顔を見合わせ頷きあうと、やや焦ったように件の部屋へ向かうのだった。





その次にやってきたのは霖之助だった。

「……やべえわ」

彼は生チョコ、ボンボン、そして塊の順番に目を遣るや否や、踵を返して帰宅しようとした。
が、どこからかにゅっと出てきたみあかしのものらしき手に頭から鷲掴みにされ消えた。
チョコレートも、彼の分だけ消えた。




最後にバロールがやってきた。
うれしそうに、大切そうにチョコレートを抱えて消えた。









「でさ、問題はこの……何? えー……なんて呼ぶ?」

「いやチョコだろ」

「チョコじゃないだろう」

「原材料はチョコじゃないのか?」

「チョコは食べ物だ」

みあかし、霖之助、秀真、フェルディア、クー・フーリンがみあかしの部屋に車座に座って話し合っている。
話しをしにいくといったスカアハはいつの間にかいなくなっていたが、彼の分のチョコレートは消えていたのでおそらく責任を持って食べるかなにかしたのだろう。
どうやって食べたかはわからないが。

「ていうか俺帰ろうとしたんだけど」

「逃がさないよ! ぼくたちだけ苦しむなんて不公平だ!」

「セメント」

「セメント?」

「ああ、セメント」

みあかしと霖之助が言い合いをする最中、クー・フーリンがぽつりとつぶやいた。
指をさす先には例の茶色い塊である。

「限りなく……セメントに近い」

「釘打てるかな」

「やってみる?」

だんだんと悪乗りしだすのは男どもの悪い癖である。
少年はいくつになっても少年、好奇心は抑えられない。
五人はかまぼこ板数枚と釘、そして「セメント」と称されたチョコを持って外に出た。






結果から言えば、釘は打てなかった。
これだけ聞けばまだその「セメント」はチョコの範疇に入るのかと思えるが、それより悪い結果が出てしまった。

「まさかね……」

「まさかだろう……」

「釘……釘だぞ……?」

釘を打ったらチョコが砕けたわけではなかった。
釘が、砕けた。
バァンとも、ガァンとも、なんとも聞いたことのない音とともに釘が砕けた。

「わ、わかった! このセメントを下にして、五寸釘を挟んで、別のセメントで打ち込めばいいんだよ!」

もはやセメントで定着したチョコを置き、みあかしが五寸釘を持ってくる。

「なんかセメントって言葉がゲシュタルト崩壊してきたわ俺……」

「これは砕いたところで食べられるものなのか?」

「わからん、が、このままでは口に入れることもままならん」

「食べるつもりなのか」

「いくよみんな!」

がじょご、というような音とともに五寸釘がひしゃげた。
全員が無言で首を横に振った。






その後、セメントもとい椿の手作りチョコレートは、みあかしの所有する土地の中でも大きな木の下に丁寧に埋葬された。

「愛の塊ここに眠る」

の墓標が刺さったそこは、いつしかバレンタイン大明神と呼ばれるようになったとかならないとか。
一部始終を見ていた椿はしばらく二足歩行もままならぬほどに落ち込み、まるで天岩戸隠れの天照のような有様だったが、ブラウニーの作ったおいしいチョコレート菓子の数々とモリガンの優しい言葉につられてふらふらと出てきた。

「さ、椿さん、モリガン姉様、たくさん召し上がってくださいませ」

「あの……ずっと不思議に思っていたのですけど」

「はい、なんでしょう?」

すんすんと鼻をすすりながらチョコシフォンケーキをほおばる椿は、ブラウニーとモリガンを交互に見やりながら問うた。

「ブラウニーさんとモリガンさんは姉妹なのですか? 姉様、と呼んでらっしゃるから……」

全然似てないけれど、と今度はトリュフに手を伸ばす。

「ああ、それは……」

「この子、他のブラウニーと耳とか形がちょっと違うのよ。だから昔、いじめられっこでね」

「そうなんです……でも、モリガン姉様は、そこが可愛いとおっしゃってくださって、一緒に遊んで下さいましたわ!」

だから姉様と呼ばせていただいていますの、とうれしそうに笑うブラウニーに、椿はなんだか自分までその輪の中に加われたような気持ちになった。
こうして並んでいるチョコレート菓子だって、かけられる優しい言葉だって、二人の愛情の形だ。
それが自分に向けられていることがこそばゆく、またひどくうれしくもあった。

「なるほど……これが、ともちょこ、の気持ちなのですね」

その言葉にブラウニーとモリガンはびくりと硬直した。

「ま、まあこういうのは気持ちの問題だから!」

「そうですわ、椿さんがわたくしたちをお友達と思ってくださるだけでうれしいですわ!」

「え、ええ、ずっと思ってますけど……」

あのバレンタイン大明神を見た後の椿からのチョコレート発言の破壊力はそれなりのものがあった。
まるで何かをごまかすかのように次々とお菓子やお茶を勧められ、椿はだんだんと自分が創り出したセメントのことを忘れて行った。
そして翌年も、悲劇は繰り返されるのである。






「バロールくん食べたの……?」

「!」

「あのセメント……食べたの……どうやって……?」

「…………」

「とにかくさ、愛があっても……こう……体は大事にしよ? ね?」

バレンタイン大明神の裏にいたバロールにみあかしが語りかけている姿を、またこっそりとスカアハがにこにこ眺めていたのも別のお話。





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