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| ■クー・フーリンとモリガンの青春の1ページのお話 毎朝同じ時間にアスファルトを蹴るスニーカーの音が聞こえる。 もう何年聞き続けただろう。朝日が薄く差し込むピンクのカーテンをそっと開いて、こうして窓の外を覗き込むことも同じように。 隣の家に住むクー・フーリンが走り込みに行く後姿を二階の自室から見送る。 それは十七年間続けてきた、モリガンだけが知る毎朝の日課だった。 普段なら早すぎる起床を家族に勘付かれたくないため、見送った後はそのままもう一度寝るのだが、今日は違う。 モリガンはクーが曲がり角の向こうに消えるのを確認してから、そっと窓を開けた。 ごみごみとした街並みから鮮やかな光が、むせ返るような春の朝の風と共に柔らかく入り込んでくる。 この一日は、クーと、彼の親友であり兄弟子のフェルディアにとって特別な一日になる。 そして幼馴染であり、ずっとそばでクーを見つめ続けていたモリガンにとっても。 ぐ、と大きく伸びをし、美しくうねる銀の髪を一つ揺らすと、彼女は二年目の付き合いとなる制服に袖を通した。 モリガンやクー・フーリン、フェルディアらが通う高校は三人それぞれの家から比較的近い場所にある。 立地はとてもよく、高い丘の上に立ち、校門から校舎に向かっては桜並木が並んでいる。 モリガンは行ったことはないが、彼女の自宅から学校を挟んで反対側に向かうと、もう一つ学校から見下ろす形に小さな桜の木も立っていると聞いた。 都会の中にありながら豊かな自然に囲まれた学校を彼女も気に入っており、さらに想う相手がいる、一緒に過ごせると思えばその思い入れも一層強いものになる。 あと一年もすれば卒業するとなった今日、モリガンは早朝の人気のない校門をくぐり、その足で校舎に併設されている体育館、そのさらに奥の剣道場へと向かっていた。 入口が小さく見えたときに、家で散々確認してきた身なりを改めて手鏡で確認する。 髪の毛はしっかりとウェーブがかかっているし、化粧もきちんと崩れずにうまくできている。ネイルもしっかりと塗ってきたし、いつか彼が「いい香りだ」と言ってくれた柑橘系の香水も少しばかりふってきた。制服もいつも通り、皺も寄っていないしリボンも曲がっていない。 「……大丈夫」 手鏡を鞄にしまうと、モリガンは深呼吸をしてから剣道場へとまた歩みを進め始めた。 二人の青年が剣道場で、剣道着姿で対峙している。 手には竹刀を持ち、面の隙間から覗く視線は鋭い。 ふ、ふ、とどちらのものとも取れない浅い呼吸、すり足で床をこする音、ぎちりと握りしめた小手の軋み。 開け放たれた戸から桜の花びらが一枚舞い込んだ。一瞬、ふわりと二人の間で揺れ、踊るように空中にとどまったかと思うと、そのまま落ちる。 その瞬間に両者が同時に動いた。 パァン、と甲高い音が道場内に響き渡る。 竹刀を振りぬいた姿のまま止まる二人に言葉はなく、ただそのまま切っ先を床に落とすと、互いに礼をし面を取った。 両者の佇まいは堂々とし、勝敗がついたのかさえわからない。 「やはり強いな」 竹刀を握る手を緩めた青年、フェルディアが、クー・フーリンの肩をたたき声をかける。 フェルディアはそのまま穏やかな笑みを浮かべ剣道場を去り、残されたクーは何かを決意した様子で竹刀を握り立ち尽くしていた。 一部始終を、モリガンはそっと見守っていた。 先の一戦は先日引退した部長に代わり、フェルディアとクー・フーリン、どちらが剣道部を引っ張っていくかを決める対決だったのだ。 どちらが勝ってもおかしくないことは、モリガンもよくわかっていた。 クーを目で追ううちに、フェルディアも自然と視界に入ってくるのだ、二人の努力は痛いほどに伝わってきた。そして二人が、お互いに相手に勝ちたい、追い抜きたいと心底思っていたことも。 「クー」 恐る恐る、けれど決して引くことはないという様子で、モリガンは戸の影から姿を現し彼に声をかけた。 弾かれたように彼女に振り向いたクーは、いたのか、とでも言いたげに口をぱくぱくとさせるが、何を言うべきかわからないらしい。 モリガンは構わず言葉を続けた。 「あのね、話があるの」 クー・フーリンとモリガンは、少しだけ人影の見え始めた校舎から隠れるように、桜の木の下に制服姿で向かい合っていた。 汗をぬぐい着替えたクーをモリガンが連れ出し、その手を引いて連れてきたのだ。 「ちゃんと聞いてね」 モリガンは彼の胸板をとんと押し木に寄りかからせると、徐に話を始める。 クーはされるがままに一つ頷くと、いつも姦しい彼女の話をただ聞き入れる姿勢をとった。右腕を抱える、いつもの癖だ。 「あんたが、その腕怪我したとき、あたし死ぬかと思った」 「唐突だな」 「いいから聞いてて」 今回は相槌すら打たせないのか、とクーは黙りこくる。 朝日はもうすっかり昇っていて、それでもまだ登校時間には早い、静かな校舎脇。 「もう剣道やれないんじゃないかって。あんたが頑張る姿、もう見れないんじゃないかって」 彼はかつて事故で右腕を負傷した。今でも少し後遺症が残るほどの大怪我で、そのせいで元は右利きだった彼は今は左手を使うようになった。 モリガンはその時、自分が代わってやれたらと心から思った。 クーは幼いころから剣道を学び、剣の道に生き、これからもその鋭い眼で剣とともに生きるのだと信じていたから。 彼から剣道を奪わないで欲しいと、その時に生まれて初めて神と言うものに祈った。 いてもいなくても、神でも悪魔でも、なんだっていいから彼を救ってほしい、と。 「でもね、あたしのお願い、届いたの。あんたまた剣道やれるようになった」 必死のリハビリと強靭な精神力で、クーは再び竹刀を握れるようになった。 その事実だけでモリガンは涙が出そうになって、女の子らしさなども忘れて思わず鼻をすする。 「そんで、あたし、決めたの。あんたが一番かっこいいときに、あたしも一番かわいくなろうって」 クーが一番格好いいところ。 それは、だれよりも彼に近く、ともに剣の道を生きてきたフェルディアと一戦を交える瞬間。 モリガンはずっとその時を待った。 いつだって真剣に剣を交えていた二人だったが、それが一つの形になる時、今日この日、この時を。 「あんたが勝ったって負けたってどっちだってよかったのよ、あたし」 こめかみから一筋流れる汗や、緩くこぼれる吐息、程よく緊張した素足や指先や、髪の毛の一本に至るまで、そのすべてが。 「あんたいつだって、かっこよくて」 例えフェルディアが勝ち、彼が主将になっていたって。 「それで、勝っちゃって、それで、もっとかっこよくて」 ず、ず、とまた鼻をすする。 「なのに、あ、あたし、かわいく、なれなくて」 これでも精一杯だった。 心から愛しいと思える人だった。 彼のために、化粧も、ファッションも、流行を追うことも、つらいダイエットだって髪や肌のお手入れだって、どんな努力も厭わなかった。 それだけしても、クーに釣り合える自分であるという自信が、まだ持てない。 それでも、伝えるくらいは許してほしいと、頑張ってきたアイメイクが落ちるのも構わずにぼろぼろと涙をこぼし、口を開く。 「でもあたし、あんたのこと、ずっと、ずっとずっと、好きだった」 彼を見れない。 きっと彼は応えてくれないだろうとなんとなく思った。 クーはとても輝いていて、手も届かなくて、自分が薄暗い路地にいる鴉であるとしたらきっと彼は勇猛な闘犬のような人で、きっと。 下を向いて、涙が落ちるのに身を任せる。 何も言わないでほしい。何か言ってほしい。 そのどちらも本心からの願いで、なんて矛盾しているんだろうと、そんなことすら笑い飛ばせない自分の余裕のなさが嫌だった。 「モリガン」 いったいどれくらい経っただろう。 ほんの数秒かもしれないし、もう何十分も経ったかもしれない。 少し掠れて、春の風にざわめく梢や桜の花びらに交じったクーの声が聞こえた。 いつもの声より、ほんの少し高い、上ずったような声。 「……顔を、上げてくれないか」 「や、だ」 「モリガン」 「やだ、あたし、いま、ぶさいくだから」 「悪いが……」 ほら、とモリガンは思った。 悪いが、その気持ちには応えられない。きっとそう言うに決まっているとわかっていたのに。 自分はどうかしていた。こんなに格好よくて素敵な人が、自分に振り向いてくれるはずがなかったのだ。 それでも自分に少なからず自信はあったし、自分を差し置いて彼の心を掴む人がいるとは今は思えなかった。 クーに一番近い人、それで満足していればよかったのに。 それでも、これからも、その一番近い人でいることを許してもらえるだろうか。 「ごめ、ごめんね、あたしの話はもう、」 「モリガン、悪いが」 珍しく語尾を強め、クーがモリガンの言葉を遮る。 「悪いが、俺は顔の美醜と言うものがよくわからん。こだわったこともない」 だが、と続けると同時に、モリガンの頬から零れ落ちるしずくが彼の手に拭われた。 「お前が泣いているのを見ると、いい気分はしない」 ごつごつとして、何度も何度も潰れた豆で硬くなった皮膚に顎を掬われ、無理やりに上を向かされる。 「お前が……笑うと思えば、竹刀を振る手にも力が籠る」 「クー、」 「これがお前の言う『好き』であるなら、俺もお前が、」 ぎゅうと心臓が潰れるような思いだった。 触れている指先の熱も、彼の少し上ずった声も、ほの赤く色づいた頬も、すべてが朝焼けのせいでないとしたら。 ざあざあと、唐突に春一番が吹き荒れる。 まるで嵐のような桜吹雪に飲み込まれて、一面桃色に染まった世界で、自分の香水の香りと少し汗ばんだような彼のにおい、そして心地よい熱に包まれて耳元に言葉を吹き込まれた。 「好きだ、モリガン」 ぽろりとまた大粒の涙がこぼれ、そこに桜の花びらが乗る。 しずくは風に揉まれ、花びらごとどこか遠くの空へと飛んで、やがて見えなくなった。 とある春の、朝のことだった。 PR | ||
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